人物考

平敦盛(1169-1184.02.07)
人物考敦盛
はい、敦盛です。誰が何と言おうと敦盛です。
たった1話しか出てこないのに人気をさらっていってしまう人(笑)。
そして五十音順に並べると必ず一番最初に来る人
この人ね、語りだすと本当に長いんですよ。多分一生じゃ足りない(生単位かい)
物語などから読み取れるのは、美少年だったということですね。
これは父経盛の生母方の家系なのだと思います。
源信雅系の男子はほとんど容姿が美しかったそうです。
深く読めば読むほど面白い人なんですが、笛の上手で、
鳥羽上皇縁の笛、小枝を父より相伝したという史実があります。
敦盛最期は教科書にも載るほど有名な一説です。
しかし、ここで終わってはいけません。
ここから深読みを始めるのが私です(するな)
予想されるのが、実は馬術が得意だったのではないかと言うことです。
波の荒いところを5,6段馬を泳がせて、呼ばれたら振り向いて戻っています。
なんかどんな動物でも懐いていそうなイメージがあるのですが、
馬もそうだったのかなとか思ったりしています。
また、笛というの象徴を持ちながら、
敵に後ろを見せず立ち向かうの象徴も持っていたということが伺えます。
両方とも誰かが教えなければもてないものです。
つまり、教えたのは父であり、兄であり、理解したのは自身でありということです。
笛を片時も離さなかったのは、やはり敦盛=笛という定着がこの時代あったのだと思いま
す。
父から譲り受けた大事な笛です。失くしたり壊しては大変です。
兄経正のように直接上から賜ったわけではないので、返す場所もありません。
一の谷の前夜も管弦を催していますが、おそらく毎日のように練習していたのではと思います。
私自身吹奏楽部で楽器の経験がありますが、言われたのが
「1日練習をさぼると戻すのに3日、それ以上になるのに10日かかる」でし
た。
実際、骨折して1ヶ月楽器を触れなかったときはかなり腕が落ちました。
必死になって戻した記憶があります。
しかしこれは楽器への愛情がなければ出来るものでもありません。
敦盛もまた、小枝を愛し、小枝もそれに応えていたのではないかと思います。
私のオーボエ話はブログ(2011年2月16日)に書いたので割愛します。
後世、織田信長が敦盛を好んで舞ったというのがありますが、
これは敦盛の最期の潔さに他ならないと思います。
当時はそれが武士の誇りでした。
命よりも名を惜しみました。
散り際を見極めることが一種の誇りだったのかもしれません。
貴に生きながらも、武を忘れない。周りの影響もあったかと思いますが、すごい人だと思いま
す。
16歳、本来なら青春時代です。
恋もするし、いろんなことで悩んだりします。
だけど戦に生きなければならなかった。
なんとも悲しい現実です。
高校の修学旅行で一の谷を対岸から望める島に行きました。
あの辺に一の谷があったのだと感慨にふけました。
数年前、須磨寺を尋ねました。
源平の庭、首洗い池、腰掛の松、そして首塚
なんとも言えぬ物悲しさと、ここにあった現実に心が痛みました。
まるで当時の様子をそのまま見ているかのようで、
しかし現実目の前には何もない状態で。
振り向けば町並みと駅と海が広がるばかり。
宝物殿に笛を訪ねれば、数百年前に奏でられた音が聞こえるような古い笛が2対。
今にも敦盛が携えて、吹くような感覚さえ覚えました。
こんな歴史ほど悲しいものもありません。

また色んな人が敦盛を描いていますが、
本当に女性と間違うくらいの顔立ちをしていたらしいですね。
うちの長男坊は4歳まで女の子に間違われていましたが
(最近も間違われそうになりましたが)、
敦盛も元服するまで間違われたりしたのだろうかと思うと少し笑えます。
また生来の末っ子ですから、ある程度気質はわかるのですが
(私自身3姉妹の末っ子ですので)、
おそらく世に言う末っ子のような「わがまま」というのはなかったかと思います。
末っ子でもそれに気づけば自立でもしたかのように非常にクールになることがあります。
決してわがままと言われないように努めるのです。
「口が達者」「生意気に見えることがある」というのはあったかもしれませんが、
きちんと自分というものを持っていたと思います。
描きたいことはたくさんあるのに、描ききれない人です。

私が書くと知章と仲良しさんで、無鉄砲でどこか自信家です。
自分より下のものと対峙すると言葉遣いがまったく変わります。

目上には本当にきちんとした言葉(例:〜ではありませんか)、
友人に対しては自分をあらわせられる言葉(例:〜だよね)、
部下や他の者に対してはプライドの高い言葉(例:〜ではないか)です。

そして父と兄に心配をかけまいと無理するところがある。
イメージもありますが、筋肉が内側につくので目立たない。軽い背が低い

平家花揃では紅梅と称されていますが、重盛が八重白梅なんですよね。
重盛は美青年で知られた維盛のお父様です。立ち居振る舞いが綺麗だったそうです。
重盛の場合は大人ですから、完全に開いて鶯が鳴いている梅の美しさ、
敦盛は元服したばかりですので、まだつぼみが開きかけた紅梅の美しさなんですよね。
読む限り女性達の評判もやはり良いようです。
私、ずっと維盛が白梅だと勘違いしていたんですが、父親の方でした;;

イメージカラーは落ち着いた
原色ではないのだけれど、落ち着いた色を見せることで違う印象を与える。
いつまでも描き飽きることのない、そして描き足りることのない人物です。

☆人物情報☆
無官大夫平敦盛(たいらのあつもり)1169-1184
平経盛末子。平家物語で確認できる兄は2人。
鳥羽上皇から祖父忠盛に下賜された小枝を父経盛より相伝。笛の名手。
逝去時の官位は無官、位は従五位下。ゆえに無官大夫と呼ばれる。
ただ、6歳で若狭守に叙せられたという史料もあるが、経俊の任官と年が近いため定かではない。
一の谷の戦いで武蔵国住人熊谷次郎直実に討たれる。享年16。


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