人物考

八条院治部卿局(1152-1231.09.11)
知盛の正室で知章、知忠、中納言局のお母さん。
安徳天皇の弟、守貞親王の乳母でもあります。
で、この方元々時子に仕えていたんですが、そこで知盛と知り合って結婚したと考えられま
す。
知盛とは同じ年になりますね。
知章が生まれてからは10年くらい第2子に恵まれなかったんですが、
その分夫婦で知章を可愛がっていたんだろうなと。
ただ、この方に関して考えられるのは、「芯が強い」「しっかり者」といった姉御肌的な感じで
す。
なぜなら、都落ちの際、まだ2歳だった知忠を置いていき、
さらには一の谷で知章を失っているからです。
しかも知忠16歳のときに首実検に借り出されていますからね。
泣きながらも「夫の面影があるからわが子に間違いはないだろう」って。。。
生き別れた結果がこれですよ!?修羅場くぐってきてんだろうなぁ…。

ということで絵ですが、最初髪の毛を輪郭つけていたら幼くなってしまったのです。
それでやめて中納言局とおなじになったという。。。できたのこっちが先ですけど。
花揃えにはいないので、背景はカラーにしています。
花言葉が「素敵な美しさ」とか「愛情」「乙女の清らかさ」なのです。
最初、違う意味で探していたと思ったんだが…あれ?
カラーは結婚式でよく使われる花です。
六十九代目トップ絵。

☆人物情報☆
八条院治部卿局(はちじょういんじぶきょうのつぼね)。1152-1231
父は藤原忠雅と考えられる。
時子の下で南御方という候名で仕えていたところを知盛と出会い結婚。
後に嫡男知章、次男知忠、長女中納言局を出産。
守貞親王の乳母となり、ともに都落ちするも帰郷。
上西門院に仕え、守貞親王の子後堀河天皇の元で仕える。
知忠の首実検の話は有名。享年80。


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