人物考

平重衡(1157-1185.06.23)
人物考重衡
この人のまずの印象って「南都焼き討ち」なんですけど、
実際は盗賊ごっこで女房をからかったり、天皇を笑わせたり、
おちゃめな一面もあったようですね。
容姿が牡丹にたとえられているので、維盛とは対照的な美青年だったと思います。
維盛が繊細なら重衡はプレイボーイタイプかなぁ?
遥かなる時空の中でが分かる方は、橘友雅さんを想像していただけると分かるかと。
ちょうど年齢も1つ違いですしね。てか1歳違いの叔父さん(爆)。
とまあ、この人の交友関係を想像すると大変笑えるのです。
恐らく維盛は一緒に盗賊ごっこしているので仲は良かったはず。同じところに勤めていましたしね。
うちの維盛の場合は「やれやれ」と溜息つきながら付き合ってそうですが。
あと、経正が出てくるのですよね。。。
何か一説では経正が重衡郎党陵轢事件を起こしているらしく;;
この辺、重衡の奥様の輔子の出生が明らかになっていないことも関わりがあるのではという論もありますけ
ど、
輔子はしっかりと藤原邦綱の実子という説が出ていますからね(ウィキ藤原輔子参照)。
経正の奥さん(一部の本/延慶本:髑髏尼にしか出ませんが)は藤原伊実の娘となっていて、
平家物語の寂光院の女院のところに出てくる人とは別人という説が一般的です。
どちらも徳子の元に出仕していたというのは共通していますけどね。
また、職場が少しかぶっていたりもするので、この2人の交友関係はあったと思っていいと思います。
まあ、うちは基本仲良し一門なので、仲が悪いということはありませんけど。
私が書くとどうしてもイメージが「楽しいこと好き」「人のものに興味がある」「大胆」というのが先立ちます。
人付き合いが得意だったんだろうなともおもいます。
イメージカラーはと白。運動会ではありませんよ。
ちなみに絵ですが、好みのままに描いたら思いっきり好みになってしまったという人の一例です。
流し目、着物を崩す、影のつけ方がイマイチ分からない口とか。
十六代目トップ絵。

☆人物情報☆
本三位中将平重衡(たいらのしげひら)。1157-1185
平清盛五男。母は時子。同腹に宗盛、知盛、徳子など。
1183年資盛が三位に叙せられたことで三位が3人になったため、
本三位中将と呼ばれるようになる(他は1181年小松三位中将維盛)。
維盛と並んで称される美青年であったらしい。
ただ、盗賊の真似をして女房を怖がらせ、高倉天皇を笑わせたり、
沈んでいる人の相談にのったり、人柄は高評価を得ている。
一の谷の戦いで生け捕りとなり、鎌倉へ護送される。
妻に輔子(安徳帝乳母)がいるが、愛人も多かった。
鎌倉では重衡の人となりに頼朝は感心し、政子は千手の前を遣わせた。
その後南都焼き討ちで恨みを持つ僧たちの願いで木津川にて斬首。
護送中に日野で輔子と再会する話は有名である。享年29。


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