人物考

平重盛(1138-1179)
人物考重盛
この人は私の描く平家を思いっきり象徴している人ですね。
若い頃無茶している、冗談が寒いとか。
いや、冗談が寒いのは知盛だけなんですが。恐らくこの人と同じ原理です。
父清盛の制止役平重盛(たいらのしげもり)ですね。
この人を最初に知ったのは佐久間智代さんの漫画だったんですが、
あまりに儚げだったので、勝手に脆弱と思い込んでいたんですよ。
だってこの頃の私の頭完全に敦盛でしたからね。
で、色々調べていくうちに二面性のある人だなと。
温厚で人柄が良いといわれているかと思うと、
平治の乱で源為朝に敵わないから引こうと判断した父に反対して一人で為朝の陣に乗り込もうとしていたり。
子煩悩なのは知っていたんだけど、次男資盛のことで殿下乗合事件起こしていたり。
まぁ、事件は親ばかが引き起こしたのかもしれませんけどね。
そう考えると重盛もお父ちゃんなんだなぁと思ってしまう。
ただ本当に恵まれなかった人です。
嫡男として生まれ育ち、一族を率いていかなければならなかった。
が、生母が亡くなってしまいその後に継室として時子が入り、宗盛らが生まれてくる。
唯一同腹の弟は若くして亡くなってしまう。
妻の兄が鹿ヶ谷の陰謀に関わったために周囲からの目も冷たくなってしまう。
しかも親交のあった人に裏切られてしまったわけです。
死因の一つの説として胃潰瘍が取り上げられています。
確かにストレスは相当なものだったと思います。
だからこそ、自分を律しないと保てなかったのでしょう。
しかし、これがきっかけで気力を喪失、内大臣の辞任を申し出ますが、妹徳子の関係上できませんでした。
後白河と一族の中で一番繋がりのあった人で、息子達もそれを引き継いでいますが、
亡くなった後は領地を没収されるなど、ある意味の裏切りを受けています。
亡くなったのが42歳なんですが、このあたりの年で亡くなっている人多いような気がします。
覚性法親王も41歳で亡くなりました。
兄の後白河法皇が老けた坊主(めちゃくちゃ失礼)という印象がある分、それに近い印象ありますが、実は若いんで
す;;
結局重盛の孤立は息子にも影響を与えてしまいました。
次男以降はそうでもなかったようですが、維盛は最後の方ある意味だったのかなとか思いますね。

私が書くと、最初に述べたように一門の象徴です;;
若いころは突っ走っているし、冗談が;;
山河あり見ればわかりますけど、冗談で敦盛を嫁にほしいとか言っていますからね。
ちなみにこの冗談、別の話で知盛も言っています。
だから知盛の寒い冗談は兄譲りなんだろうなぁとか。勝手に(笑)。
あれ、ということは清盛譲りか??
小説にもちょこちょこ顔を出していますが、脇役に徹しています。
書くのは好きですよ。とても書きやすい人なので。
イメージカラーはに近い。重厚な色というのかな?墨汁を伸ばしたような色です。
イメージ的には「儚い」「年下を可愛がる」「年上はビシッと制する」ですね。
年上を制している場面書いたことありませんが。
絵については、知盛と同系列の顔です。父親一緒だからいいか、と。
でも儚い感じが拭えないので線は細め。顔も細面気味です。
目の書き方は維盛と一緒です。

☆人物情報☆
小松内大臣平重盛(たいらのしげもり)。1138-1179
父清盛、母高階基章娘。弟妹に宗盛、知盛、重衡、徳子など。同腹は基盛のみ。
庭に灯篭をを48立てていたことから灯篭大臣とも呼ばれる。
親交のあった藤原成親の妹を妻として迎える。
が、鹿ヶ谷の陰謀で成親が失脚すると一門から孤立する。
人柄の評価は高く、後白河を庇って清盛を諌め、命をすり減らしたことから日本三忠臣の一人とされる。


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