人物考

平資盛(1158or1161〜1185.04.25)
このホームページではよく出てくる維盛の弟です。
重盛の次男坊ですね。
最初のころは資盛が嫡男だったそうですが、本人小さかったのでわかっていたのかどうか。
いつのまにやら維盛が嫡男になっています。
この人の生年も諸説あって、維盛と同じ年とか、違うとか。
どっち、って状態ですけど。そもそも母親違いますしね。
有名なのは殿下乗合事件で、相手方からひどい仕打ちを受けた資盛を見た重盛が相手の家臣の髻を取らせたという。。。
これからも非常に寵愛されていたのは分かりますね。
もう一つ有名なのは建礼門院右京大夫でしょう。
正妻ではないので妾なのですが、仲はよく、最期のときまで文のやり取りをしています。
また、この兄弟も悲しい運命をたどっており、資盛は生き残りといえます。
弟の清経は豊後で入水自殺します。
屋島の前に兄の維盛は入水自殺します。
また、14歳だった弟師盛は一の谷で討死しています。
そして末弟の忠房は維盛に同行したと言われています。
私が維盛と資盛の仲は良かったと思う理由はここにあります。
維盛の入水を知った後、資盛は右京大夫に「今はただ自分の命も分からない状況なので、物を思うことをやめようという心境にあります」と送って歌に残していま
す。

あるほどが あるにもあらぬ うちになほ かく憂きことを 見るぞかなしき
(生きていることが生きていることにもならない。この世のうちにあってこんなに辛い目にあおうとは、なんとも悲しいことだ)

まぁ、資盛は維盛と違って歌は詠めた人です;;
右京大夫集にもやりとりした歌が残っています。
でもここから資盛の悲しい心情は分かりますよね。

最期は壇ノ浦で弟有盛と入水しています。
落人説もあったりするのですが、はっきりとしたことはわかりません。
信長で有名な織田氏は資盛の末裔を自称しています。
本当だとすれば覚盛か盛綱ですが…。
どちらもはっきりとした資料はありません。

絵ですが、顔が維盛に似ていたという文献もあるので、維盛を意識しています。
が、男らしくしています。維盛存在薄い顔しているので(爆)。
目はこの家系全員同じですけどね。
イメージ的には兄弟愛が強い、年下に優しいですね。
意外と経俊とか敦盛の年齢層は可愛がっていそうです。敦盛と2つ違いの弟いましたし。
花揃では藤になっています。
藤のしなやかさもあったのかな、などと思います。
イメージカラーは赤紫です。

☆人物情報☆
新三位中将平資盛(たいらのすけもり)。1158または1161〜1185.04.25
父は平重盛、母は藤原親盛娘。
和歌の才能に優れ、新勅撰和歌集、風雅和歌集に名を残す。
兄維盛、弟清経は共に入水、他の弟も有盛以外は先に命を落としている。
最期は壇ノ浦の戦いにて、弟有盛と従兄弟行盛と入水している。享年25または28。


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