人物考

平忠度(1144-1184.02.07)
人物考忠度
もうすでに昔から私の中では陽気な近所の叔父様なんです、この人。
優れた歌人としても有名な方でしたから、家の中ボツになった和歌の冊で足の踏み場もないよう
な。
で客人は好きなので、客人がきたらその辺よけて座らせていそう(笑)。
経正あたり足しげく通っていそうですけどね。
ただ和歌の詠み方が違うようなので、歌合では顔を合わせるけど、どうなのかなというのも。
むしろ敦盛とか知章とかの年代の子どもがなついていそうです。
だからその辺、本当に飴をくれる近所のおじさん(笑)。
ただ武勇にも秀でた人だったので、実際はどうだったのかなと思います。
熊野で育ったという説もありますしね。
まあ、やっぱりイメージとしては「陽気でおちゃめな叔父様」かなと思います。
「物静か」というのもありますけどね。
和歌は本当に好きですね。
「さざなみや しがのみやこは あれにしを むかしながらの やまざくらかな」と
「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」
どちらも有名な歌です。
花を詠むとこれほど綺麗に詠む人もあまり見受けられないです。
絵はよく考えたら経盛の弟だけど、若いのよね、と。知盛と10年も違わない。
むしろ重盛より年下。
でもシワはありそうだなぁと。
何か顎鬚が勝手にイメージされているので、経盛と同系列の顔にしつつ、髭は豊かにって感じで
す。

☆人物情報☆
薩摩守平忠度(たいらのただのり)。1144-1184
平忠盛七男末子。母は藤原為忠女。
藤原俊成に師事し、和歌を学び、名手となる。勅撰集などに入選する。
都落の際、俊成に別れの和歌を詠んでおり、討たれた際も和歌を持っていた。
一の谷の戦いにて源氏に呼び止められるが、自分は源氏とうそをつく。
しかし、お歯黒をしていたため平家の公達と判明する。
平家の中でも猛将として知られているが、片腕を切り落とされ、覚悟を決める。
読経の最中に首をはねられ絶命。享年41。


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