もうすでに昔から私の中では陽気な近所の叔父様なんです、この人。
優れた歌人としても有名な方でしたから、家の中ボツになった和歌の冊で足の踏み場もないよう
な。
で客人は好きなので、客人がきたらその辺よけて座らせていそう(笑)。
経正あたり足しげく通っていそうですけどね。
ただ和歌の詠み方が違うようなので、歌合では顔を合わせるけど、どうなのかなというのも。
むしろ敦盛とか知章とかの年代の子どもがなついていそうです。
だからその辺、本当に飴をくれる近所のおじさん(笑)。
ただ武勇にも秀でた人だったので、実際はどうだったのかなと思います。
熊野で育ったという説もありますしね。
まあ、やっぱりイメージとしては「陽気でおちゃめな叔父様」かなと思います。
「物静か」というのもありますけどね。
和歌は本当に好きですね。
「さざなみや しがのみやこは あれにしを むかしながらの やまざくらかな」と
「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」
どちらも有名な歌です。
花を詠むとこれほど綺麗に詠む人もあまり見受けられないです。
絵はよく考えたら経盛の弟だけど、若いのよね、と。知盛と10年も違わない。
むしろ重盛より年下。
でもシワはありそうだなぁと。
何か顎鬚が勝手にイメージされているので、経盛と同系列の顔にしつつ、髭は豊かにって感じで
す。
☆人物情報☆
薩摩守平忠度(たいらのただのり)。1144-1184
平忠盛七男末子。母は藤原為忠女。
藤原俊成に師事し、和歌を学び、名手となる。勅撰集などに入選する。
都落の際、俊成に別れの和歌を詠んでおり、討たれた際も和歌を持っていた。
一の谷の戦いにて源氏に呼び止められるが、自分は源氏とうそをつく。
しかし、お歯黒をしていたため平家の公達と判明する。
平家の中でも猛将として知られているが、片腕を切り落とされ、覚悟を決める。
読経の最中に首をはねられ絶命。享年41。
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