平経俊(たいらのつねとし)です
「誰?」という突っ込みはやめてください。気持ちはわかりますから。
経盛の息子で、敦盛の兄です。年齢差は最近3歳と判明しました。
意外と若かった。10くらい離れているかと思った。
敦盛との間にもう1人養子がいます。なぜ全員男なのか…
よく考えたらむさくるしい家だな。
あ、でも詩歌管弦に秀でた家系だからそれほどむさくるしくもないのか。
それ言ったら敦盛に怒られそうだ。
ただ、平家物語で確認できるのが3人だけです。
文献によっては女の子も1人いたみたいですが、わかりません。
むしろ昔のことはよくわかりません。
ただ計算すると長男との差がすごいのでいてもおかしくはないよなぁと思います。
今資料みたら全部で男6人ですね。
うちの旦那でさえ男4人なのに、6人って…。
ただ、3人だけで考えると、楽に秀でている兄弟に挟まれて肩身狭いのではと思ってしまいま
す。
だから武に走った、むしろそっちのほうが合っていた。
でもこの兄弟の中にいるから自然と文のほうにも精通できている。かな。
本当に資料が少なくてわからない人なんですが、
なぜか夜泣きの神様になっています。
小さい子どもでもいたのかな?
これが実は都においてきた幼子がいて、夜泣きがひどく、
ある夜、経俊が霊となってあらわれると不思議と夜泣きが治まった、
なーんて説話があると本当に日本の昔話みたいだなと思ってしまいます。
なくなったのが18歳ですからね、この時代なら十分子どもがいてもおかしくないです。
ちなみに私が描くと気がつくと髪形が維盛と同じになっていたり、
兄弟の板ばさみになっていたり、敦盛と仲がよかったりです。
平家花揃では水仙だそうです。
ちなみに花言葉が「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」
ひでぇ
イメージは「ひねくれている」「家族大好き」です。
経正も昔はひねくれていたというイメージがあるんですけどね。
素直に答えられないというか、何と言うか。
一の谷で亡くなっているんですが、従弟と3人で敵陣につっこんでいますからね、この方。
しかも従弟2人討ち取られたのを確認しているらしいです。
イメージカラーは赤までいかない赤かな。
☆人物情報☆
若狭守平経俊(たいらのつねとし)。1166-1184
平経盛子。平家物語で確認できる兄弟は2人。
名前自体があまり出てこず、詳細も不明な人物ではあるが、神戸では子どもの神様としてあがめられている。
一の谷の戦いにて従兄弟清房、清貞と敵陣に突っ込み討死。享年19。
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