人物考

平知盛(1152-1185.03.24)
人物考知盛
知章のお父さんですね。
出番の少ないわりに有名な方です。
言わずと知れた平知盛(たいらのとももり)ですね。
多くをアップするつもりなかったんですが、それに気づいてしまったがために、アップせざるを得なかったのです。
それというのは何かといいますと、壇ノ浦で知盛が掃除を始めた理由です。
平家劣勢で、最後が見えた知盛は突然船の上を掃除し始め、雑巾がけまで始めてしまったんです。
船にいる女性達に「戦況はどうですか?」と聞かれ「もうすぐ東国の男達が見れますよ」とさわやかに言い放ちま
す。
見苦しいものを捨て、穢れを祓い、後には何も残さない。
そう思えてなりません。
人は死が近づくと、身辺整理をするそうです。
死を宣告されていなくともするそうです。
おそらく知盛にもこれが当てはまったのではないでしょうか。
船から自分達がいなくなれば後は船だけが残るのみ。
ならば何も残すまい。見苦しいことはすまい、と。
おそらく自然と無意識におこなった行為だと思います。
敵将をばったんばったん斬る教経に「これ以上罪を作って何になる」と言い、
自分は「見るべきものはすべてみた」と言って海に沈む。
しかも一緒に沈んだのが生まれたときから一緒だった乳母子です。
知盛にはおそらく人をひきつけるものがあったんでしょうね。
それはと言う名前で結ばれているかと思います。
一の谷で息子を犠牲にして自分は逃れてきてしまったという思いが最後まで生き残った理由かもしれません。
ただし、都落後の1184年に子ども1人もうけていますけど。
しかも母親治部卿局じゃないし。何やってんですか、あーた
ただ、己の真実と心に忠実に生き、人生を全うした人だと思います。
と言っても享年34って若いんですけどね。
多分年齢不詳の経正はこの辺りだと思います。
でもイメージ的には知盛のほうが上になってしまう。従兄弟だから同じくらいで不思議じゃないんだけどさ。なんとなく
ね。
しかも経正のほうが敬語使っているイメージあるし。…なぜ??
知盛の息子と経正の弟が同い年だからか??
それを言うと、教経の弟も同じ年なんだが…教経の場合は年齢わかっているからなぁ。
平家花揃では紅葉だそうです。
基本的に20代後半くらいからヒゲというイメージがあります。
賢さとか知的の象徴かな?知盛=ひげっていう。。。そんなこと言ったらみんなはやしているけど。
でも突然はやして息子に泣かれていそう。知らないおじさんとかって。そして奥さんに突っ込まれる。
ちなみに奥さんの治部卿局は80歳まで生きました。
むしろ最後まで生き抜いたのは奥さんでは?と思ってしまいます。
イメージ的には「親馬鹿」「冷静」「爽やか」ですかね。
イメージカラーは浅葱色
ただ最後まで生きなければという重圧と戦い抜いていたと思います。
それが知盛の責任であり、宿命だったのかもしれません。
だからこそ、最後の「見るべきものは…」なのではないでしょうか。

☆人物情報☆
新中納言平知盛(たいらのとももり)。1124-1185
平清盛四男。母は時子。同腹に宗盛、重衡、徳子など。
智将でありながら、一の谷でほとんどの将を失うと、実戦にも参加。
壇ノ浦の戦いにて、従兄弟教経に「いたく罪なつくりたまいそ」といい、
自身は船の掃除を始め、穢れを清める。
全てを見届けた後、鎧を二重に着用し、乳母子の家長と入水。享年34。


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