ある意味一番まとまっているようでまとまらない人です。
本質的に違うので、書きにくい。色々書きにくい。
平教経(たいらののりつね)、いわずと知れた猛将ですね。
ただ、年齢が知盛と8つ違うだけなので、若いといえば相当若いですよね。
この人の享年29だと思っていたら実は26だったし。
いったい誰と勘違いしていたんだろう。
武勇伝のほうが大きすぎて、あまり女性に縁がないというイメージなんですが、
一応奥様いらっしゃるんですね。しかも九州に伝わる妖怪がその奥さん(もしくは母親)の化身とかなってる
し。
伝説多すぎ
ものによっても、一の谷で死んでたり、最後まで生きていて、
壇ノ浦で義経を追い詰めていたり、よく考えたら謎だらけです。
だからみんな描くのかなぁ?
しかも壇ノ浦で脱いでるし。大童って言葉はここから始まっているんですね。
ただ、こんな説話もあって、
兄通盛が一の谷の前に妻小宰相を呼び寄せて別れを惜しんでいたら、
「ここはいつ戦場になるかもわからないのにのんきなものですね」的なことを言ったら、
通盛は一の谷で戦死、妻小宰相も後を追って入水自殺します。
一度小宰相を引き上げたけど手遅れで、通盛の元に送ってやろうと
通盛の鎧を着せて沈めてやるんですが、
その場に教経がいたのでは?と思います。
おそらく小宰相が妊娠していたことを知っていたのは、乳母と教経くらいです。
教経の場合は偶然聞こえてしまったのかもしれませんが、知っていた確率が高いです。
そこでせめてあの世でまた一緒になれるようにと、鎧を着せて、
もう浮かび上がってこぬようにしたのは教経なのかも、と思うのです。
だって、イメージ的に「弱いものには優しい」というのがありますから。
自分をちゃんと持っていて、強きに屈せず、弱きを助ける、そんな人物だったのではと思います。
最後も凄まじいというか、何と言うか、知盛が止めなかったらどうなってたんだろうとか思いますね。
イメージとしては「猛者」「勇猛果敢」「猪突猛進」「難しいことは苦手」「子どもに優しい」です。
軍議は活き活きとしていそうだけど、他の集まりだと寝てそう。
あと烏帽子のイメージがまったくない人ですね。20過ぎている人物でこれも珍しいんですが、
描いたら似合わなさそうなんで。
平家花揃では「蓮」ですか。
蓮って御釈迦様とか、如来、極楽のイメージが強く、猛者とはかけ離れています。
猛々しいなかにも凛としたものがあったのかなと思います。
そういう意味では背景の写真の蓮そのものです。
☆人物情報☆
能登守平教経(たいらののりつね)。1160-1185
平教盛二男。母は藤原資憲女。兄に通盛、弟に業盛、忠快がいる。
平家一の猛将として知られ、屋島、壇ノ浦では義経を追い詰める。
壇ノ浦の戦いにて、義経を追い詰めるが、八艘飛びで逃げられ、最後を悟る。
敵将2人を道連れに入水。享年26
|