人物考

平盛子(1156-1179.07.23)
平清盛の娘で摂政近衛基実の正室です。
正室といえば聞こえはいいのですが、結婚したとき基実は22歳、盛子は9歳だったので、いわゆる政略結婚です。
ただ、基実は1166年に24歳で亡くなっているので、結婚生活はわずか2年でした。
後に白川殿と称され、憲仁親王の准母となるんですが、残された領地の管理や遺児の後見などにも追われていたようです。
24歳の若さで亡くなりますが、この人が幸せだったのかどうかは分かりません。
わずか9歳で13歳年上の男性に嫁がされ、流されるままに運命をたどった女性と言えるでしょう。
ただ平家嫌いの九条兼実が盛子が亡くなったときにたった噂「異姓が藤原氏の所領を横領したから春日大明神の罰が下った」というのに対し、「14年間も罰がくだらなかったのはなぜか」と笑っているという;;この人もひねくれていますよ
ね。。。

花揃は柳に橋ですが、さすがに画像はなかったです。
イメージは幸薄いなよなよしいなんですが、自分の意志はあったんだろうなと思います。じゃないと11歳で家長なんてやってられませんよね。
イメージカラーは深緑。静寂に身を任せるイメージです。
六十五代目トップ絵。

☆人物情報☆
白川殿平盛子(たいらのせいし/もりこ)。1156-1179.07.23
父は平清盛、母は不詳。
わずか9歳で摂政近衛基実に嫁ぐも2年で死別。
その後は白川殿と称され、東三条殿を管理する。
24歳で夭逝する。死因は不食とされている。


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