一人で勝手に討論

ぴったりきた
何がって経正の生まれた年(あんたまだ言ってたのかい)。
ヒントは3つ(どこの探偵だよ)
・覚性法親王が1169年で亡くなっていること
・経正が17歳のときに宇佐八幡への勅旨にたっていること。その際青山を
賜っていること
・1168年に即位した天皇がいること
そう、3つ目が何よりのヒントでした。
1168年に17歳だとすると経正1152年生まれになります。
仁和寺を出たのが13歳のときなので、これが1164年
一方、覚性法親王が亡くなったのは1169年です。
宇佐八幡の勅旨と言うのは、天皇が即位した際にたつものです。
これらを計算し、考慮したところ、1152年説が私の中で有力になりました。
計算すると一の谷のとき33歳、ちょうどイメージとあいます。
また、経盛が1124年の生まれですので、経正が生まれたのは29歳のと
き。
ちょっと遅い気もするかもしれませんが、
経盛は出世が遅いタイプだったし、通盛のように30まで子どもがいなかった
人もいます。
まぁ、通盛の場合は正妻が12歳ということもあったと思いますが。
また淡路守についたのが1167年ですので、52年うまれとすれば16歳
なります。
また自分で開いた歌合が1173年ですので、このとき22歳
これをたとえば1代前の六条天皇としても良いのですが、
父親が後白河法皇と対立しているので、経正が勅旨としてたつことはありえ
ないでしょう
六条天皇の前は父親の二条天皇なので、これもありえないと思います。
その前は後白河天皇(1155年即位)ですし。
そうすると、1168年に即位した高倉天皇が有力です。
高倉天皇の中宮はご存知、清盛の娘の徳子なわけですから。
ちなみにその後の安徳天皇の即位時に17歳と言うのはとてもありえませ
ん。
即位が1180年ですから、生まれたのが1164年になってしまいます。
稚児として出仕したときに覚性法親王いません(大問題)
いったい誰に琵琶もらうんですか、あーた;;
ということで1152年生誕説が私の中では有力です。
同年代に誰がいるかと言うと、知盛(1152年生まれ)通盛(1153年生
まれ)
少し下に維盛(1158年生まれ)重衡(1157年生まれ)
徳子(1155年生まれ)がいますね。
知盛と通盛と経正はいとこ同士になりますので、やはり1152年かなと思い
ます。





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