大河ドラマ
第二十三話「叔父を斬る」
今回見だしたのが20時30分とかだったので(理由は聞くな)、大河ドラマの公式サイトとか、他の方の感想サイトとか見ていたんですが…

それだけで十分なけるのはなぜでしょうか。


問題の処刑シーンを思いっきり見逃したわけですが、もう、文章読んでいるだけでワラワラと。

「忠正ー!為義ー!!」とか。

義朝もやはり人の子だったのだと。

よく自分の中で葛藤がずーっと盛り上がって熱になっていて、一つの大きなことが終わるとそこでふっと頭の中が冷静になってしまうことってないでしょう
か。

その冷静になったときの頭で、視野で周りを見るといろんなものが残っているんですよね。

義朝の場合は父とのわだかまりだったかもしれません。

自分が望んだ結果だったはずなのに、結末は付いてきてくれなかったのです。

それほど矛盾したことがどうしてあるでしょうか。

今までそばで見てきた父の努力、東国にまで行って手に入れた己の強すぎる力。

今目の前にある幸せと葛藤とわだかまり。

なぜ小さな幸せに気がつくことが出来なかったのでしょうか。

それは人間であれば誰しも同じことかもしれません。

大きな欲望の前には小さな幸せは見えづらいものなのです。

だからこそ、義朝のもらったものは全部返す、だったのかもしれません。

当然、敵方についた父が許されるはずもありません。

しかし、こんな結末は望んでいなかったはずです。

戦で死ぬならそれは仕方のないことと、武士ですからある程度割り切っているかもしれません。

ですが父の首を自分ではねなければならない、こんな結末は誰が思い描くことが出来たでしょうか。


それは平家サイドも同じことです。

忠正は自分の運命をすでに戦の前から、もしかしたら清盛が平家の一員となったときから受け入れていたかもしれません。

しかし清盛は忠正に散々いろいろなことをいわれてきました。

それでも叔父を嫌いになったことなど一度もなかったのです。

むしろ父を陰から支えてくれたひとだと尊敬の念すら抱いていたかもしれません。

しかし今決断しなければならないことが目の前にあるのです。

忠正はいつでも「平家のため」でした。

それは誰もが知っていました。

だからこそ、忠正の息子たちも父の意志に従ったのでしょう。


その後の宴ほどむなしいこともありません。

「遊びをせんとや」「戯れせんとや」

この解釈は後白河天皇と清盛の間に徹底的な差がありました。

清盛の「遊び」「戯れ」は、ただのそれではなかったはずです。

今まで培ってきたものの上に成り立つそれだったはずです。

貴族や皇族の道楽のそれではないのです。

今回一番思ったのはそれですね。

そして信西です。

よく考えてみたら、頼長は自身の日記台記で忠盛が公卿の一員となることを認めています。

一瞬見失いかけていたことが、信西の中にもあったかもしれません。

頼長の日記を見たときに、それを思い起こしていたかもしれません。

そして決意新に、新しい世を清盛と作ることを目指します。


さて次回豊真将ですね。

現役力士が出るのは初めてなので楽しみです。





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