大河ドラマ
第二十四話「清盛の大一番」
先週の感想であえて書かなかったんですが、

はっきりと「清盛と義朝の差」というのがでてしまったなと思いました。

それは身内を本当に斬れたのかどうか、ということですね。

先週の処刑の際、

清盛は自分を奮い立たせるというよりも、

一門の将来のことを思っていた叔父の思いを汲んで斬ったように思えました。

それが同様に処刑された従兄弟たちの言葉からも分かりましたよね。

「我らも父上とともに…」あぁ、結束固いな、と。

一方の義朝は最後まで自分で手を下せませんでした。

それは真に裏切ったのはどっちだったのかと言うこともあるでしょう。

ただその泣き叫ぶ声と、処刑されていく音と読経が重なって悲しかったですね。

正清もここでやらなければ現時はもっと落ちてしまうと分かっていたのでしょう。

義朝はこれ以上父と対することは出来なかったのかもしれません。

ですが弟たちの「父を一人で…」というセリフには、

義朝への反発や疑心しかなかったように思えます。


そこにきて今週です。

義朝はそれ以上どうすれば自分を、源氏をあげられるのか分からなかったのでしょ
う。

ついには由良までが倒れてしまいました。

自分の不甲斐なさ、情けなさ、

その思いが信西にぶつけられたと思うのですが、

信西はもともと平家派でしたし、前回の「与えられた恩賞はすべてかえす」で、

信西の中にもはっきりと平家と源氏の差が生まれてしまったのだと思います。


そして清盛の大一番にもその差が生まれてしまいました。

清盛はもともとこういった駆け引きが得意だったと思います。

ここまで大々的に現れたことはありませんが、割とこまごまと出ていたと思いますよ。

今回の話は拠点をきちんと大宰府に作るためのお話でしたね。

たしかに重盛ってこっちに縁があるんですよね。

清盛の大一番も信西の大一番も似ていたかも?


さて重盛結婚。。。

あれ、維盛と資盛どうした??

資盛は誕生が1158年説と1161年説があるから別として、

維盛この年に生まれているはず…。

しかも経子が生んだって確認できる清経も1163年だからまだまだ先…。

しかし時代が確実に動いているなぁと思ってしまう。

この後教経も生まれてくるしね。

てか、本当に忠度はどこに行ったんだろう…。。。

清盛が今41歳…う〜ん、大河ドラマの不思議。

まぁ、頼長にでかい子供がいた時点で大河ドラマの不思議なんだけど。


さて、次回いよいよ平治の乱に向けての序章ですね。

信西もそろそろ死んじゃうのかぁ。

この人もかわいそうな人といえばかわいそうな人ですけどね。

てか後白河天皇譲位して、遊びに徹するようになりますな。

熊野行きが盛んになってくる…。

あ、もう数年で滋子が…。

いやぁ、見所満載ですな。





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